慶長8年(1603年)、徳川家康により上洛時の宿泊所兼、京都御所の守護として造営、三代家光により完成されました。二の丸御殿の各間に残る、狩野派の障壁画をはじめ、桃山文化の神髄を楽しめます。
観光客、バックパッカーさんウェルカムな街のため、宿泊施設や公共交通機関のサービスが充実しています。公共交通機関は主に市バス、都バス電車の利用が可能です。ただし、バスは渋滞も激しいので早め早めの行動をおすすめ。1day周遊券のようなものもあるのでインフォメーションに確認を取った方が良いかも。その他、レンタサイクルなども探すとあちこちにあります。
- 京都市交通局:市バス路線図
- 京都駅を出てすぐのインフォメーションで配布されているバスの路線図は簡単な地図としても活用できます。電車の乗り換え情報も載っていて便利。
古都奈良の文化財
古都奈良の文化財」は1998年12月に世界文化遺産に登録されました。その昔奈良時代に首都平城京が作られ、都は碁盤目状に整然と区画され、宮殿(平城宮)・寺院・市場・貴族や庶民の住宅などが次々に建設されました。人口10万人の大都市だったと推定されています。
元興寺
前身は6世紀末蘇我馬子によって開かれた法興寺(飛鳥寺)でしたが、平城遷都に伴い今の地に移転され名も元興寺と改められました。かつては南都七大寺の一つとして威勢を振い、現在の奈良市街の南東部を占めていました。
薬師寺
唐招提寺
唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。
多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部(にたべ)親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。
平城宮跡
平城宮は、710年(和銅3)平城京の北部中央に、東西約1.3キロ、南北約1キロの地を占めて営まれました。ここには、天皇の住まいである内裏や国家的な儀式や政治の場である大極殿・朝堂院のほか、たくさんの役所が立ちならんでいました。いまでいえば、皇居と霞ヶ関の官庁街を併せたようなところでした。平城宮の四方には、高さ5メートルの築地塀がめぐらされ、それぞれに三つずつ併せて12の門があり、南の正面中央の門が朱雀門でした