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スティーブン・スピルバーグってスゴいってなる話

E.Tやジョーズ等、数々の世界的大ヒット作映画を作り上げ、史上最も成功した映画監督スティーブン・スピルバーグ。 その人生も、まさに伝説。
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2014年10月1日更新

いじめられていた子ども時代。巨匠としての芽は既にこの時から。

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父の仕事の都合上、引っ越しが多かったという。ユダヤ人であったほか、ディスレクシア(失読症もしくは難読症、学習障害の一種)のために同級生より読み書きを修得する速度が遅く、このためいじめも受けたこともあった
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『ゴジラ』を子どもの頃に見て、「何故怪獣をここまで滑らかに動かせるのだろう」と感心した。
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12歳で8ミリの短編を撮り、14歳で後の「プライベート・ライアン」を彷彿とさせる40分の戦争映画を作った。

17歳で、ユニバーサルとの契約を勝ち取る

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17歳の頃に、ユニバーサル・スタジオのツアーに参加すると、勝手に途中でツアーを抜け出し、撮影現場を見学して業界のコネクションを作った
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カリフォルニア州立大学ロング・ビーチ校に進学し、1969年、短編映画『アンブリン』が認められてユニヴァーサルとテレビ部門の監督として契約、『刑事コロンボ/構想の死角』などを手がける。
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大学に通う一方で休みになるとユニバーサルへ潜り込むようになり、ついには空き部屋だった掃除小屋を自分のオフィスとして使用してユニバーサルに居候を始め、ハリウッドを出入りするようになる。
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ユニヴァーサル社に勝手にもぐりこんで映画製作を学び、“Amblin”を気に入った副社長に認められ、テレビ映画監督として契約
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のちにスピルバーグは自分の映画会社を設立するが、それがこの短編のタイトルからとってアンブリンと名付けられた。

AMBLIN

大学を中退、映画監督としてのキャリアがスタート

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1972年に、テレビ映画として撮った『激突!』が評判を呼び、海外では劇場公開され、スピルバーグの名前が世界に知られるようになる。
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1975年『ジョーズ』が世界中で大ブームとなり、ヒットメーカーとしての地位を確立。『未知との遭遇』『E.T.』でSF映画に一時代を画した。

E.T

成功してからのスピルバーグは・・・

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スピルバーグといえば今となっては「早撮りのスピルバーグ」として有名
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撮影においてリハーサルを行わないなど、凄まじい早撮りで有名。大作『プライベート・ライアン』は2ヶ月で撮影を終えたという。
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製作費をできるだけ安く抑えることでも知られる
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低予算づくりには定評のあるスピルバーグだが、1億ドル(100億円)以上費やした映画は、これまでに「宇宙戦争」など数本という。

早撮り、かつ低予算で、数々の名作を作り上げた

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多くの監督がデジタルで撮影を行っているが、彼は今でもフィルムを使用している。
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ハリウッド長者番付。2位はスティーヴン・スピルバーグ監督(8500万ドル)

政府から宇宙人の情報を開示された唯一の一般国民・・・!?

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彼はアメリカという巨大国家の戦略で宇宙人を実際に面会した事のある唯一の一般人だという都市伝説がある。
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スピルバーグだけが宇宙人の情報を公開してもらえたのか。それはアメリカが映画大国であるからである。

E.Tは実在するエイリアンがモデルとなった!?

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